my notebook blog : Thinking
検討要素組み合わせツールの再考
以前、脳関係の本を読んでいたら、脳というのは、状況にあわせて自分の都合の良い話(嘘)をでっち上げる機能があるという。 (作話というらしい。) これは脳にとって好都合なことらしいのだが、問題は本人は作話したという意識を全く持たないで、作話してしまうこと。 したがって、本当は真実は別にあるのだが、そのことに全く気づくことがない。
以前「検討要素組み合わせツール」というものをつくることに関わったことがあるのだが、 それってこの「脳が勝手に作話」的な脳の不都合な性質の回避に役立つかも。
A紙 B紙 などの用紙の比率が 1 : Math.sqrt(2) であることの証明
疑問が生じたときに、即ググらない行動パターンをとってみた、という話。
今 "ネット・バカ" という本 を読んでいる。 いつもググって解決するという習慣により脳が悪い方向につくり変えられているのではないか、という話。
「A4の縦横比っていくつだっけ」→「ググれ」という短絡思考をやめて自分で計算してみたのでここにメモしておきます。
リアルブックストアの(Amazonに対する)アドバンテージと問題
ひとは見ようと思ったものを見るように脳がフィルタリングをかけているらしい。
The eye sees only what the mind is prepared to comprehend
だから Amazon のようなオンラインのブックストアではなく、実際のブックストアにいくと、たくさんの本の中で自然に自分が関心のある本を見つけることができるのだと思う。自分が何に関心があるか顕在化できていない状態でブックストアにいく→自然と自分が無意識に関心を持っている情報が目につく→自分が本当に何に今関心を持っているのか気づく。という流れ。つまり、自分が意識上で気づいていないことを認識する場所がリアルなブックストアという気がする。
コンピュータ言語と英語、それからそれが読めることの重要性
ネット上でいくらでも英語を読めるようになった時代。 それでも、英語が読めなければ、そこから何かを学ぶことはできない。 だとしたら、もし英語を読めるようになったらそこからたとえば、英語表現をいくらでも学べる(かもしれない)とふと思った。
それって、コンピュータのプログラミング言語を学ぶのも同じじゃないのかな。
ブログの整理をしていて気づいたこと 内容が形式に従う話
ここ3年くらいの間に書いたブログを整理した。 それは、そのとき書きたいことを書いているのでテーマもばらばらだし、分量もまちまち。書きたい内容に合わせて、いくつかの異なるブログ構築ツールを使っていたり、とにかく混沌とした状態だった。 最近は書きたい内容だけでなく、何を書くべきか、この内容は書いても役に立ちそうもないなとか、そいうことを考えるようになった。そういうふうに書きたいことをただ書く、というところから少し離れるとネット上での他の人のブログなどを見てこれはいいね、このスタイルは好きだ、とかそういうのがだんだん出てくるようになった。
ブログのスタイルがこうしたい、こう見せていきたいとなったときに、逆にこのスタイルの中にこのエントリは入れられないとか、そういうことが出てきた。分量が長すぎるとかコードが多すぎるとか、内容的に違うとか。
「好きなことと稼ぐ」の関係性
GTD,Lifehack,OMNI Focus を調べていたら行き当たったエントリー 「好きなことと稼ぐ」の関係性。 プロフィールの「 誰も雇わない、誰からも雇われない」の完全フリー主義」とか素敵です。
いろいろその手の本を読んだり話を聞いたりを思い返してみると好きなことをやった方が成功する、と言っている人もいるし、仕事と割り切ってやるとか仕事は嫌い、だから稼げるとか、真逆の話もある。それから目の前に起きた課題=仕事を(えり好みしないで)次々こなしていく先に成功があるとか、そもそも成功者というのは何に快感やワクワクを感じるかによる、だから正しいこと・・・つまりここでは稼ぐに結びつくようなこと、という意味ですが、それにワクワク感を持つようにしていかなきゃいけないとか。