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コンピュータ言語と英語、それからそれが読めることの重要性

ネット上でいくらでも英語を読めるようになった時代。 それでも、英語が読めなければ、そこから何かを学ぶことはできない。 だとしたら、もし英語を読めるようになったらそこからたとえば、英語表現をいくらでも学べる(かもしれない)とふと思った。

それって、コンピュータのプログラミング言語を学ぶのも同じじゃないのかな。 プログラム言語はコンピュータに何か処理をさせるために書きはじめることが多いと思う。 だから、人の書いたコードが読めることより、まずはコンピュータに仕事させることができるコードを書くことに フォーカスするし、コードを書いた結果、コンピュータが意図通り働いてくれたら そこで満足してしてしまいがちだ。

だから、人のコードを読め!みたいなことというのは、 いままでその意味をよく考えることがなかったのだが、 むしろコードを書くことよりも本質的なんじゃないかとふと思った。

自然言語の場合、たぶん話すより聞き取る方が先だと思う。 子供が日本語をどうやって覚えていくかを見ればそれはたぶん間違いない気がする。

それから他人に対して話しかけたところで、それはコンピュータと違ってたいてい実行してはくれない。 だから自然言語というのははじめからよりよく話すとか書くということに対して学ばなければならないように仕向けられている。それは人が話たり書いたりしているところから学ぶしかない。

そこまでの言語に対する感受性というかリテラシーがプログラマには本来求められているのかもしれない。

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